ジョン・レノンの名言。Don’t hate what you don’t understand.からの雑談会スタート。

インターネットが普及して、SNSやコミュニティのプラットフォームもたくさん生まれ、それまでの時代なら、一生知り合うこともないまま終わったであろう人達と出会えたり、簡単に繋がって交流できたりすることは素晴らしいんですが。

それに伴って、新しい犯罪や巧みな勧誘、ネットストーキングなんて規模大きめのものから、意図の有無に関わらず、気軽に、どこからでも言葉のナイフが飛んでくる、という環境が生まれたんだもんなぁ、と思うと、何とも言えない気持ちになることもあります。

イベントを開催していても、初参加の方は特に、ここは安全に発言できる場だろうか?と、確認する作業が、かなり念入りだなぁと感じることも多く。普段から、思いがけない場面で、ガードが外れている時に、いきなり否定されたり、突然酷い言葉を投げつけられたりする経験が、それぞれあるんだろうなぁ、と思います。

この間、レギュラーメンバーの方と3人で、オンライン雑談会を行った時、関心事が同じで、とても嬉しく思いました。

最近ふと思ったことで、今日言いたかった、と切り出してくれたんですが、きっかけは、ジョン・レノンの“Don’t hate what you don’t understand”という言葉だったそうで。

私は初めて聞いたのですが、ああ、深いなぁ、と思いました。“自分に理解できないからといって、それを嫌わないで”、って、何にでも当てはまる、素晴らしい教訓だなぁ、と思いました。それを聞いて、私も思い出したことを話したくなって、いつもの脱線雑談会がスタート。

就労支援施設でお世話になっていた時ディスレクシアという障害について、初めて知ったんですが。文字が反転して見える、などでまともに読めず苦労してきた、といった事情を聞いて、衝撃を受けまして(いろいろな症例があるようですが、例として)

世の中には、一見して分からない障害がたくさんあるんだ、という驚きから、見えてはいるとなると、学校などでどれだけ誤解されただろう、本人自身その状態が当たり前の日常で、他の生徒も同条件だと思うのが普通だろうから、どれだけ劣等感を持っただろう、親も悩んで、もしかしたら子供を責めて、後々後悔したかもしれない…などと考えが広がるうちに、その、事の大きさを感じるようになって。

これはあくまで一例で、他にも自分の知らない障害や病気、想像もつかないような家庭の個々の事情があるんだ…と視野が広がった瞬間、これは、ものごとを語る時に、自分がこれまで前提にしてきた条件が劇的に変わってくる…、基礎部分を根本的に見直さないといけない、と思うようになりました。

これまで自分は、何も知らないで、簡単に人やシステムについて文句を言い、断罪もしてきた、と急に恐くなって、以前よりも行動を考えるようになった、と話したところ。

そのレギュラーメンバーさんが呼応して、最近、優しさの半分は知識、というツイートを読んでしみじみ考えていた、と言われたんですが。私も全く同じツイートを見て感じ入っていたので、フォローしている人のタイプも似るし、センサーに引っかかるポイントも似るもんなんだなぁ、と改めて驚き、また嬉しくも思いました。

知ることも大切ですが、全て知ることはできないので、こういうこともあるかもしれない、という想像力も必要だなぁ、幅をもたせて思考し、断定を避けることがベターかなぁ、と個人的には思っています。

また、本だけ読んで知識はあるけど、目の前の人のことを見ていない、または、私の膠原病の友人が経験したように、知識に当てはめようとして、当てはまらない場合はないものとして考えようとする、なんて場合もあるので、反面教師にしなければ、と思っています。