激しい抑うつNight。一晩中落ち込みながら、気付いたこと。

先日、久しぶりに落ちに落ちたんですが、ネガティブスパイラル思考の中でも、いろいろな発見があったので、書いてみようかと。

ここ数週間、なんか時間にすごく追われてるな…、頑張り過ぎっぽいな…と自覚があったのにも関わらず、無理をしたのが元々の原因なんですが。

自己肯定感が下がり気味で、普段よりも人の言葉が強く響いたり、言葉と一緒に乗ってくる感情に敏感になり、最初はほんの小さな傷だったのに、気付いたら大きな穴が開いていて、どぉーんと落ちてしまいました。

夜になって猛烈に悲しくなって、心の中で人を責め、自分を責め、人生全部嫌になってきまして。無理に寝てしまおうと電気を消して、度々ベッドに入ったのですが、入ると脳が冴えて。思考が働くと、この一連の流れがまたスタートしてしまい、辛くて涙が止まらず。

仕方なく起き出して、テレビを見て、というか、ただ流してボーッと眺め、眠れそうかと横になるも、またおいおいと泣き始めるので、ベッドから這い出して今度はスマホをいじくって…を繰り返し、ようやく眠れるかも、と思ったのが朝の5時苦笑。

さて、この感情の嵐の中で気付いたことというのは、

・これも依存行為である。

エレメンタリーの記事内で、ドラッグ中毒について考察を書きましたが、これも依存行為だなと改めて思いました。別に見たくもないのにテレビやスマホに浸る行為は、傍から見れば、そんな満たされない行為を何故続けるのか、と思われると思いますが。

神経を鈍麻させて、この苦しみから少しでも逃れたい、という逃避行動なんだな、と思いました。対象は、ドラッグの場合もあれば、お酒やパチンコなど、あらゆる形で表面化しますが、耐え難い苦痛を感じている時、根本の問題自体は取り除けないから、感じる感覚を麻痺させるため、鎮痛剤を飲むような行動なんだな、と。記憶がまだ鮮明な次の日に、自分の昨夜の行動を思い起こして、改めて思いました。

例えば、本を読み思考するといった、自発的に選択して、考えて行う行動でなく、受け身の行為であって。意義のある活動でなく、ただただ受け取る行為(私の場合は、ただボーッと映像を見る行為)で、脳内のエネルギーを消耗しないようにしているんだな、と感じました。

・この苦しみが、活動のモチベーションである。

久しぶりに地獄の苦しみで、途中からはもはや、何が悲しいかも分からないけれど、筆舌に尽くし難い激しい心の痛みで。うつ病が再発したんじゃなかろうか、しかし、病院に行って状況を話したら、また抗うつ薬を飲む羽目になる。そうなると、断薬までの、またあの長い道のりが…と、どんどん飛躍していき、雪だるま式に膨れ上がりながら坂道を転げ落ちていく、おなじみのパターン苦笑。

あるある!と頷いてくださる人も、多いんでは?と勝手に思っていますが。もちろん私よりも苦しい状況の人達がたくさんいることは承知で、それは置いておき、気付いたことですが。

この苦しみがあるから、自分を含め、同じように苦しんでいる人達が、少しでも楽になるような予防活動をしたい!という強いモチベーションに繋がっているんだなぁ、と改めて納得しました。

同じ思いをしている人がいると思うと、何かしたい、と、理屈じゃないものがありまして。ありきたりな理由なんですが、飽きっぽい自分が、さらにこうやって、辛い!もう動きたくない!と頻繁に落ちるようなメンタル繊細系の自分が、これはライフワークだ、と何度も戻っては、継続して続けていることを考えると、この源泉の強さは凄いな、と思います。

・落ちるところまで落ちるのも必要。

一時期、涙活が流行りましたが、確かに涙を流すとスッキリするので、下手に感情に蓋をせずに、時々落ちるところまで落ちるのも大事かもしれないと思いました。

喜怒哀楽それぞれの中にも、より多様で繊細な感情、複雑な思いがあって。怒と哀は避けたいなぁと思いがちですが、それらも含めて味わい尽くすほど、人生を深く、豊かに生きた、と言えるかもしれないなぁ、とも思います。

・危険をきちんと予測。不安という感情は、正常な働きをしていた。

昨年末、コンシェルジュのお仕事を辞めることにしたのですが、退職を検討し始めてから数年間、決断できずにいました。何を躊躇っているのかなぁと考えていたのですが、一番の理由は、入居者さんとお会いできなくなることが寂しいんだ、と気づきました。

生活密着の仕事だったので、入居者さんとの関わりが本当に楽しく、面白い出来事もたくさんあって。自分はここのコミュニティの一員で、それを失うことが恐いんだな、と分かりました。

困った感情のトリセツという本を読んで、不安という感情は、自分の安全が確保されていない、ということを知らせるためのものなので、存在を恐れず、取り扱い方を学ぶべき、と教えていただきました。

これまでの人生で、一番気づきが多く、自分が大きく変化した職場だったので、思い入れが強く。その喪失感はやっぱり大きかったんだ、と実感したのと同時に、退職前に感じていた不安は、その危険を察知した結果湧き上がってきた感情で、正常な働きをしていたんだな、と思いました。

予防と呼ばないような、ゆるい精神疾患予防の活動をしたいなぁと思っていますが、「私は完璧に回復しました!こんなふうに社会復帰しました!」…みたいな発信ではなく、再発防止のための地味な活動を続けていき、その経過を綴っていきたいと思っています。