サボる人に対するイライラ。でも、ミイラ取りがミイラにならないようにしたい。

この間、個人個人の働き方の違いについて、同僚がぽろっと愚痴を口にしたんですが。

そこから、残りの人生で守っていきたい価値観とは?というところまで、どんどん話が広がっていき、非常に共感したもので、その話について書いてみようと思います。

話の発端は、お客様に渡すために常時ストックしてある資料が、ファイルに一枚も残っておらず、準備に手間取り、お待たせしてしまい困った、という話でした。

最後の一枚となった時に、補充しない人がいて、毎回うんざりすると。これ、どこの会社、家族間でもありますよね…。

どうしてほんのひと手間かけて、次の人のために補充しておかないのか。物がトイレットペーパーで、何度も続いたら、まるで自分が交換係と思われているのか!?と腹が立ってきます。

気にしない人、もしくは無意識にそうしている人からしたら、そんな小さなことで、と思うかもしれませんが、何というか、相手への礼を欠く態度と受け取られかねず、それが日々積み重なると大きな不満となって、関係の亀裂の一因になるので、注意が必要です。

その同僚は続けて、以前はイライラしていたけれど、今は随分諦めたと仰っていて。そこで口うるさく言っても、こういう人ってまず直らないから、イライラしてガミガミ言うのに使うエネルギーがもったいないと。

私も全く同じ過程を辿って、同じ心境に辿り着いたので、非常に納得しました。人は変えられない。怒りが湧いたら、都度それを払って、無駄にイライラして溜め込まない。自分のためにそうしよう、と思うようになりました。

意見を交わすうちに、今度は私が、これに関連した大きな課題について話しました。それは、こういうことが“うっかり”や“あまり気にしていない”から起こる場合でなく、“わざと”やる人が原因の場合。

こういう、次の人が使うであろう物の非補充といった小さなことから、自分の仕事を減らす目的から、際限なくその規模が大きくなる人のことです。

ここまでは自分の仕事となっているのに、じわじわと自分がやらない領域をなし崩し的に広げてくる、という人が、残念ながら世の中にはいまして。

一度前例ができると、いつの間にか何となく他の人がやることになり、その人の仕事が減る、置いておけばこの人はやってくれるだろう、とまで読んで黙って仕事を置いて帰る、気は利かせない、わざとスローに仕事をする、など非常に消極的に仕事をすることで、相手から頼まれるのを避ける。

すると結局真面目な人、積極的に仕事をする人に仕事がどんどん回ってくる、という負の循環。仕事を頑張っても、特別評価される訳でもなく、何で自分だけ…という不満が溜まっていき、自分も損したくない!という、マッチャー思考に陥る。そしてとうとう、サボる彼らが属するダークサイドに堕ちてしまう、といったことも、起こっているんじゃないかと思います。

ここまで話した時に、その同僚が、「でも私はそういう、人に仕事をやらせて、自分が楽になった、自分は得をした、と考える生き方って、心が貧しいと思うんですよね、品位に欠けるし」と言うのを聞いて、とても共感しました。

私も、まさにその、最後の砦である誇り、プライドの部分が大切なんじゃないかなぁ、と思っているからです。

以前勤めていた会社に、会社に対して不平不満が多い同僚がいたのですが、よくよく観察していると、“自分は好きでこうなったのではない”と、全身で訴えているように感じられまして。

自分は、真面目に働いて結果も出した。でも会社は一向に自分を評価しない。腹が立つから、サボることで復讐をしているように見受けられました。常に“やっつけ感”が感じられ、この年ではもはや自分はやり直せない、と自暴自棄になっているようでした。

さらによく観察していると、一見会社を責めているように見えましたが、実は流されてしまった自分にも酷く失望し、怒りを感じている、という印象で。

地位や名声、高収入が叶えられなかったことを悔やんでいるようでしたが、実は、自分の本当の気持ちに従わなかったことが原因なんじゃないのかなぁ、と感じ始めました。

その方の若い頃の夢の話を聞いたり、周りの若い人を応援する姿勢を見ていると、本当はもっと熱く生きたかった、ベストを尽くせば良かった、という後悔の怒りなんでは、と思えてきました。

生まれながらの貧富の差を含め、世の中には、ありとあらゆる不平等がありますが、自分の人生を良くしたいと思ったら、結局地道に、確率を上げる行動を取るしかないんじゃないか。

世の中何もかも不確実で流動的。これさえあれば絶対安心、安定なんて、もはや保証はありませんし、やはり攻めの姿勢で、少しずつ力をつけていくしかないんじゃないかと。

もちろん、損ばかりしないように、置かれている環境やその場の状況によって、押したり引いたりの駆け引きは必要だと思います。

ただ、気付いたら何についても不平不満のクレクレ星人になってしまっていた、ということにならないよう、“得をしよう”というマインドに気を付けよう、と思っています。