先日、改めて自分の年齢と、社会での立場を意識し、考えさせられたことがあったので、そのことについて書いてみようかと。
ふらっとレストランに入った時、スタッフの方から、メニューはテーブル上のQRコードからご確認ください、と言われ、一瞬オッ、とたじろぎました。
QRコードは利用しているので、あぁコロナだし、そういうことね、と事情はすぐ分かったんですが、一気に勝手が変わり、“急激に変わっている過程だけれど、身近ではほんの少しずつ”という印象だった時代が、一気に進んだ感を覚えました。
オーダーを済ませた頃、初老のご夫婦が入口でスタッフと話しているのを見て、メニュー、大丈夫かな…と勝手に心配していたのですが。スタッフの方が紙のメニューを渡してらっしゃるのを見て、ホッとしました。
もし、こんなの簡単ですよね、という態度で接したりすれば、こういう技術に不慣れな人達は、取り残される感を味わうと、ハラハラしていたからです。
同時に、自分は、デジタルネイティブの世代と、非デジタルネイティブの世代との間の、“何とかついていっている世代”なんだ、と気づき、ハッとしました。
そして改めて、最新の高度な技術は、“皆に、より優しい社会を実現するという目的”から外れてはいけないな、と強く思いました。
以前新聞の投書欄で、横文字ばかりを使うのはやめて欲しい、という意見を見たことがあります。
確かに、新聞だけでなく、ネットや社内での会議、友人との会話中も、カタカナが溢れているなぁと思います。
以前、そういう言葉を知っていて、使いこなせること自体に、カッコ良さを感じていた頃がありました。
私の場合は、次々出てくる新しい語彙を追って、それらを覚えることにエネルギーを注ぎ、中身がなかったなと思います。
それを知っていることで、時代について行っている、もしくは多数グループに何とか所属できている、という安心感を得たかったのかなと思います。
社会を作っているのは、老若男女、いろいろな背景を持つ人達なわけで、できるだけ平易な言葉で理解しやすい発信をすべき、と今は思うので、そういう過去の自分を、とても滑稽に思いますし、その行為を自戒しています。
もちろん、新しい概念で、その言葉でないと伝わらない場合もありますし、非デジタルネイティブ側も、全部分かるように説明せよ、という態度でなく、着いて行こうとする姿勢も、必要だと思います。
ただ、間の世代の私達は、老いについてじわじわ実感するこの頃で、“老人笑うな、行く道じゃ”の言葉の重さも、ひしひしと分かってくる時期で。
ちょっと、人より物事を知っている、という優越感で、社会の流れに着いて行けない人達を見下し排除する、そうしているうちに、自分も老いて、排除される側になる…。
今後ますます情報弱者とのギャップが広がるだろうな、それを埋める優しさ、心遣いが必要になってくるな、と感じました。
次にそのレストランを訪れた時、スタッフさんの対応を見ていたところ。メニューなんですが…と言いながら、私の目やしぐさを、細かく観察してらっしゃるのが分かりました。
QRコードと言った瞬間に不安そうな顔をすれば、すかさず、紙のメニューもございます、と出してくれそうな雰囲気で、声がけ一つにも、こちらの尊厳を傷つけないような配慮を心がけてらっしゃるのが伝わってきて、その柔軟な対応に、拍手を送りたい気持ちになりました。
ハード面の整備は、お金を出せば何とでもなると思います。問題は、ソフト面。柔軟な対応ができる人が求められてくるだろうな、と改めて強く思いました。
